世界が溶け出す瞬間を

二次元に恋に落ちたらこうなっちゃったんだよ。

すきなひとが、三次元になることが決まった

いつか、こんな日が来るのだろうなと思っていた。

 

natalie.mu


黒子のバスケが舞台化された瞬間から、きっとこんな日が来るとは思っていた。想定はしていたし、覚悟をしなければと思っていたし、どれほど心が千切れてもそれは受け入れなければいけないと思ってはいた。いたんだけど、まだまだ遠い先だと思っていて、今回とうとうむっくんが発表されたとき、あーじゃあストバスのシーンやるのかーーってところまでしか脳みそがいかなくて、その先は考えることを拒否した。
だってその次に来るのは、わたしがせかいでいちばんあいした、あかしくんだ。

まあ詳しいことは前回のブログでもみてよって感じなんだけど、傍から見るとわりと頭がおかしいと思われそうなレベルでわたしは赤司くんに恋していて、こんなものは恋以外の何物でもなくて、あの日赤司くんに転がり落ちてから、もう5年は経っていた。

その赤司くんが、舞台に出る。
三次元で、XY軸だけじゃなくて、Z軸まで含めて、肉体を持って、赤司くんを表現する、公式から演じていいよと言われた誰かが、この世に生まれてしまった。

もっと怒るかと思ってたのに、思ってたのとぜんぜん違う感情で潰されたので、びっくりした。
赤司征十郎さんの登場とキャストが同時発表になって、溢れた感情は猛烈な息苦しさだった。
怒りまでもいけなかった。おまえをころしておれもしぬ!!!!!!!くらいの気持ちで心にナイフを構えることになると思ってたのに、現実はといえば、ほぼ全面現実のシャットアウトだった。受け入れられない。決して赤司くんではないけど、公式として認められた、赤司くんのような出で立ちで赤司くんのように振る舞うひと。神谷の次に、公式に赤司くんとして存在することを認められたひと。

あまりにもくるしくて呼吸がおかしくなりそうで、公式のツイートを開いた瞬間、トイレに駆け込んだし、何度も深呼吸した。ひとしきりツイートで吐き出したあと、これではなんのことかわからない人もいるよなとおもって、もう一度ツイート開いて、RTしようとして、RTのボタンを押そうとスマホに手を伸ばした瞬間、赤司征十郎「役」という文字列を目にしてどばりと涙がこぼれた。
あの瞬間をどう説明していいかわからない。だめだった。むりだった。感情が追いつかなかった。RTしたらそれが現実になってしまう気がした。もうとっくに現実なのに。きっとあの瞬間、わたしがRTを押せなかった事実が表す事柄は、「現実の否定」で「現実の拒絶」だった。

なんでだろう、こんなにくるしくてこんなにつらくて、たかだか舞台の上で赤司くんのようにしゃべってふるまうだけ、なのに、それを公式から許されたという事実が重くのしかかってくる。
またもうひとつ公式の赤司くんが生まれることがどうしようもなくこわい。また、公式と解釈で戦うの??もうやだ、アニメだけで十分だよ。アニメスタッフとは明確に解釈違いだし、神谷ともわかりあえなかったわたしが、いったいどうしたらその赤司くんを目にして叫びださずにいられるの。
くるしい。くるしい。あかしくん。わたしの脳内でいつだって生きている。呼吸している。存在している。いつだって涼しそうに微笑んでるけど、たまに茶目っ気たっぷりに楽しそうに笑うときもあって、怒ったり困った顔したりもするし、とっても慈愛に満ちた表情を見せたり、少し子供っぽく拗ねる瞬間もあった。

はあ。
赤司くんのこと、なんでこんなにすきなんだろう。
たかだか舞台に出演が決まったくらいで、こんなに感情が乱れてしまう。

いまでもきっとわたしは現実をきちんとは受け入れられてはいないし、心の中がまだ拒否に動きそうになることは事実だけど。
最後の最後、わたしを支えたのはやっぱり赤司くんでしかなくて、「赤司くんがいまのわたしを見てどう思うだろう」って考えたら、やっぱり落ち込んでる場合ではないし、きちんと毎日を生きて、きちんと生活して、そうじゃないと、呆れられてしまうから、なんとかわたしは立っている。
こんな情けないわたしでごめんね、とおもうけど、きっと赤司くんがすきになってくれるとしたら、そこで諦めないわたしだと思うので、やっぱりどれほど泣きそうでも、つらくても、くるしくても、怒りが沸き起こっても、わたしは赤司くんのことを見に行く。
見に行くべき公演はかみさまが連れてきてくれる。いつもそうだからだいじょうぶ。

赤司くんのことすきだからがんばりたいんだよ。
赤司くんのことすきなかぎり、しゃんとしていられる気がした。がんばれる気がした。

わたしの思っている赤司くんが来るとは思っていない。きっと解釈違いもある。わたしは良くも悪くも極端に凝り固まりすぎている自覚はあるので。
それでも何も見ずに悲嘆してばかりでは、フィールドにすら立てないのだ。
生きて4月の公演初日、わたしはぜったい赤司くんをこの目にする。
そのとき見た結果何を思うかは、また別の話ということで。