世界が溶け出す瞬間を

二次元に恋に落ちたらこうなっちゃったんだよ。

かようにも恋にも似た何かは無様だったか

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まさかこれに続編を書くことになるとはちっとも想像しておらず、というか続編を書くほど自分の気持ちが盛り上がらないだろうという前提でアレを書いたので、このザマであることに関しては本当に遺憾の意なんだけど何はともあれミュージカル刀剣乱舞葵咲本紀千秋楽までお疲れ様でした。

本当に長丁場の公演だったのでキャストスタッフの皆さんはゆっくり体を休めてほしい(と思ったけど翌日からみんな稽古行っててすごいな……)

前回のブログは凱旋でこれ以上の衝撃を受けることはないだろうと判断したから書いたものだった。つまりこのブログが公開されたということは想定外の事態が起きたということなんだが。
事件が起きたのは22日の昼公演だった。東京2日目以来の刀ミュ、凱旋公演。友人と一緒に立ち見に入った。余談だけどTDCの立ち見超久しぶりだったけど見やすくて良い。
東京で見たから大丈夫やろ〜〜初めて見る友達がどこに落ちるか楽しみだな〜〜〜フンフンなどと浮かれて余裕ブッこいてたわたしはボコボコに殴られて死んだ。完膚なきまでにやられた。鶴丸に、いや、岡宮くんに。
断言するけど凱旋の鶴丸はもう明らかに東京とは別の何かだった。ほんっとにびっくりした。岡宮くん、死ぬほど歌が上手くなってた。こんなに歌が伸びるなんて思ってなかった。
もともと東京で見たタイミングですでにお歌はかなり高レベルでまず音を外さない、リズムがブレない、安定して声量が出せる時点でかなり高評価してたんですが、比較的喉で発声してるように聞こえていたので、ああ公演長いし無茶して喉壊さないといいなあとは思った。あとファルセットの切り替えが苦手そうで、スムーズに行き来できない故にか地声で出そうとして掠れて失敗していたので(特に2部ソロが顕著だった)、その辺りも今後の改善ポイントだなあと思っていた。
改善点とはいえ、実際のところ次の公演歌合になるのか、ならその次あたりの別の仕事でまた経験踏んで改善してくれたらな、と正直そういう長期スパンでの改善点と捉えていた。発声なんてすぐ直せるものでもないしボイトレ行く期間なんて取れないはずだと思ったから。
それが、凱旋で全部改善されてた。
きつそうだった2部ソロの高音部がきれいなファルセットで出るようになってたし、発声が明らかに安定して楽に歌えているように見えた。いやわたしは専門家ではないのではっきりと明言はできないんだけど多分腹式に変わった?いやほんとかどうかはわからんけど。
まじで歌を聴きながらここまで足がガクガクすると思わなかったし曲終わりでへたり込んであの日の村正ソロを一ミリも覚えていない(ごめんもっくん)。
鶴丸ソロあまりにも脳みそが溶けるので何も歌詞を覚えられなくて何も解釈できてなくて巷では三日月への曲だとかなんだとか言われてるらしいですけど正直よくわからない。まじで顔を見て声を脳みそに通すと意味を取る前にあっという間に終わる。歌の力だけで根こそぎ思考を奪われた。
あまりにすごかったので勢いでチケットをだいぶ増やして金土日で4公演みるとかいうクソ詰め込みスケジュールを久しぶりにやったんだけど何回見ても歌が上手くて可愛くて上半身がきれいに動くし動きがとにかく軽やかなところが大好きでもうまじで限界だった。もうものすごい同担拒否を発症して隣に白い服が座ると憂鬱すぎて死にそうだったし、白振る女全員キンブレ撲殺じゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜って内心でキレてた。(できないけど)
鶴丸で同担拒否を発症する理由はわかっていて、「鶴丸とわたし」の関係性は二人の間で完結するもので、その間にも周りにも人は必要ないからで、「みんなから愛される鶴丸国永」という概念は「鶴丸とわたし」という関係性において不要だから、わたしはわたし以外の鶴丸推しを目にすると気持ちがざわざわする。鶴丸からファンサもらった報告してた人でみつけた人は全員ブロックしたけどそもそもブロック作業をしようにもそのための検索が自殺行為すぎてすぐやめた。あまりにつらい。
 
金夜、仕事帰りに遅刻して入ったんだけど、3バルの上空から双眼鏡で固定カメラした。TDC音響がそれほどよくないのでやはり2バルできいてた時よりは圧が落ちるなあと思った。脳みそ溶けた状態でソロ曲をきいてて、2回目のサビだったと思うけど双眼鏡越しに視線があって微笑んだ瞬間、感情がスローモーションになった。心を一滴ずつ鶴丸という概念に浸して搾り取っていく感じ。恋よりは諦念に近くて、痛みではないが、甘いというよりは少し苦かったし、水面に広がる波紋のように静かな何かだった。まずかった。このまま行くと自我が崩壊する。
土昼、まじで奇跡中の奇跡が起きてドセンアリーナ奇数列に入って死ぬかもしれないと思ってたんだけど一番やばかったの主との会話のシーンだった。いやだってわたしと鶴丸が会話してるんだわ。これはまじ。わたしが主だったし世界にわたしと鶴丸しかいなかった(訳目線席最高)
大楽何を見ても最後になってしまうのが悲しくてずっと双眼鏡で固定カメラした。カテコ挨拶、鶴丸が「俺みたいなのがきて驚いたか?」と言った時苦しくて胸が詰まった。ここでまだ原作セリフを投下してくるなんてずるい。
大楽カテコが終わって拍手をしながら急に涙が出て困った。この1週間にも満たない、たった5日という短い期間追っただけなのに泣きながら鶴丸が好きだと喘いでそのままグッズに走って鶴丸5セットくださいってお姉さんに言った。電車に乗って顕現セリフを反芻してぼろぼろ泣いた。何があんなにきつかったんだっけな。もう記憶も定かじゃないけどとても冷静ではなかった。ドロドロの恋のような感情を無理やり1週間で凝縮するとこうなるんだ。まじで人にはお勧めできない。
 
次の仕事次第という感じだけどこれでうっかり岡宮くんのオタクになってたら笑ってください。(そもそも観劇が苦手なので若手俳優のおたく向いてないけどな)
歌合は増やします。現場からは以上です。

鶴丸国永と恋

あるところに鶴丸国永という白い刀のかみさまがいました。恐れ多くもそのかみさまに恋い焦がれた一人の女は、その恋情に焦がれて灰になって死んでしまいましたとさ。おしまい。

 
というおとぎ話をします()
事あるごとに鶴丸国永をこじらせる病持ちが刀ミュに行ったらまた病んで帰って来た話です。
 
※この記事には刀ステと刀ミュのネタバレが含まれます※
 
鶴丸国永という神様に初めて出会ったのは4年前の冬だった。
わたしは初日登録の相模国ユーザーで、1月にゲームが始まって以降、ブラウザゲー未経験でわかんねえ〜〜〜と言いながら進めていた。別に始める前から特別好みの子がいるわけでもなくて、流行り物だから乗っておこうってそんな程度の始め方だった。初期刀は清光だ。今でもかわいい愛しい大好きな初期刀。
最初はレアの出し方もわかんなくて、最初に鶴丸国永を目にしたのはTwitterのタイムラインだった。鶴丸国永はいいぞ、という説明画像が添付されたツイートだった。綺麗な顔だなと思った。線が細くて血の気の薄い白くて綺麗な男が好きなのは性癖だ。
早く来てくれと願いながら鍛刀を続けて1週間、レア4と呼ばれた初期レアの刀の中で一番最初に我が本丸にやってきたのは鶴丸国永だった。早速連れまわすために戦場に出した。
そして運命がごろりと動いてしまった。
「ガラ空きだぜ!」
は??????この儚い系美人(噂によるとびっくりじじい)からなんでこんな??雄の声が?????????????????????????????????
会心の一撃のセリフで大困惑してそのあと万屋セリフ聞いてまた吐くじゃん??このびっくりじじい、わたしがいま恋に落ちたって知っててそう言ってる?????
1度目の恋は、その声で叩き落とされてはじまった。
 
2度目の恋は刀ステの現場だった。
まず前哨戦として、わたしは刀ステの本能寺再演を見ているんだけど、再演は鶴丸国永が初演の染谷さんから健人さんに変わったところでそもそも健人さんはご存知の通り前世がアレでどう考えてもあの事務所で生まれ育った動きをする鶴丸国永は劇薬だった。
実際現場でみていてあぁ好きだなってナチュラルに思ってみてたら、最後カテコで前に出てきた鶴丸国永がお辞儀をした瞬間、唐突に情緒が壊れて泣いた。あの瞬間のこと正直よく思い出せないのに、世界が鮮やかに色付いたみたいに、感情の洪水に溺れてわたしはこの鶴丸国永のことを好きになってしまう、と思った。それは予感であり、確かな実感ではなかったのに、本当に当たってしまった。
そして独眼竜がやってきて、いろいろと端折るけど鶴丸国永が黒鶴になるシーンがあった。正直にいってあまりにきつすぎて見返せない。恋情が募りすぎて自家中毒を起こしてしまうから。
刀ステの鶴丸国永はその視野の広さと経験でもって、あの瞬間に誰がとらわれた場合に戻ってこられるのか、確率の高さと危険度を計算して、自ら堕ちにいったんだとおもってる。鶴丸国永は咄嗟の判断力が高すぎて、それが最善であるとき自分の身を投げ出してしまうんだ。それがどれほど危険でも。もちろんしぬ予定でそうしてるわけじゃなく、生きて帰る算段がいちばん高いと思う選択肢を瞬時に選びとってはいて、だから死なずに帰ってくるけど、わたしは鶴丸をすきだから苦しい。あのひとが自ら死にそうな目に遭っても、戦場にいないばかりか本丸で迎えることもできない。つらい、つらいのに、あの場面でその選択肢を選べる鶴丸国永がすきで、永遠につらいとすきがループしていく。
わたしはあの鶴丸国永が好きで好きでたまらなくて、あの舞台を見たあと、しばらくずっと鶴丸国永という名前を思い浮かべた瞬間に思考が覚束なくなる状態だった。思考が焦点を結ばない。「すき」「つるまる」以外の言葉が消えた。わたし、つるまるが、すき。
鶴丸国永という神様に恋するなんてこんなに愚かしいことも報われないことも恐れ多いこともないのに、わたしは抗いようもなく恋に落ちた。わたしから全部全部奪って、白いかみさまは何も知らない顔で笑う。だってあの鶴丸は、わたしと縁を繋いだ鶴丸じゃない。だからこそ永遠に届かない、無常な恋だ。遠くからかみさまを眺めたわたしが、一人で勝手に転げ落ちてしまっただけ。
かなわないとわかっていながら、鶴丸と二人で白い闇に溶けて死にたいから連れてってよ、と半ば本当に思っていた。神隠し願望、どうあがいてもメンヘラです。
本丸の中で生きるわたしと別の本丸の鶴丸国永であるあの鶴丸出会う可能性も薄く、また深い関係性を築く可能性もない。だから病んで落ちていくのさえ一人遊びで、でもそれ以外にできることがない。焦がれれば焦がれるほど病むしかないのだ。あれはそういうくるしい恋だった。
 
長らくその恋を煩ったあと3度目の恋、活劇があって、そして4度目に訪れたこの感情はおそらく恋ではなく、それでも、わたしはあのかみさまのことを狂おしいほど好きでたまらない。
岡宮くん正直こんな新人に鶴丸とか大丈夫か!?とおもって実際見てみたらスペックの高さでしんだ話とかもあるんですけど、岡宮くんがどうこうではなく物語の配役でじわじわ病んでいる(そもそも本筋に没入するのを邪魔しないだけのスキルがあったという点において岡宮くんは偉い。褒めたい。ありがとう)
本編で鶴丸国永は終始引いた視点から物語を眺めていた。意図的だと思ったのは殺陣でやたらと刀を鞘に収めたまま振るっていて、相手を倒すための動きではない部分がかなり多かった。
あれはなんだったんだろうな〜〜とずっと考えていて、ひょっとして「まわりの様子を観察していた」のでは、もっと言うと「自分以外の刀と時間遡行軍と検非違使の思惑を探っていた」のではないかと考えている。
鶴丸は後から合流した刀なので、みほとせ組である村正と蜻蛉切がここまでに何があって結果どんな想いを抱えているか、確認する必要があった。事実、村正は死んでしまった信康のことで精神こじらせてたし蜻蛉切さんは村正のありかたを心配してた。
御手杵に関しても、元主の結城秀康を前にしてどの程度動揺するか確認したかったはず。(刀ミュ時空は阿津賀志の頃から元主のあれこれを割りきれない子が割りきれないまま出陣するのがあるあるなので不安定要素として見積もる癖があっても不思議じゃない)
篭手切は明石が問い質した通り「先輩が諸悪の根源」「でも先輩を見殺しにしたくない」という意図があった。
明石はなんだかんだ世話焼きなので篭手切の思惑を気にしているし、「明石が篭手切を気にしている」という事実を鶴丸は本丸の時点で盗み見て理解している。
という状況で、鶴丸国永はそのすべてを見抜いて適切に配役を振り分けて、なおかつ危険度の高い検非違使を引き付ける役を問答無用で持っていった。
そして最後残りの問題がひとつに集約されるところまで待って、5人の前に帰ってくる。白の羽織を真っ赤に染めて。
メタ的な事情で「鶴丸に赤を纏わせたかった」という意図があるのはわかるんだけど、それでも傷だらけの鶴丸が出てきたとき心臓が止まるかとおもった。会場を笑わせようと、たいしたことないぞって笑って見せる鶴丸を見て、なんでここでみんな笑えるのと思った。こんなに傷付いてる鶴丸鶴丸だけが血まみれで、ひとりでこんな厄介なもの引き受けた鶴丸を見て、なんで笑えるんだ。
笑ってほしいんだよ、鶴丸は。鶴丸にそういう意図があって、そもそも戦いとはそういうものである、という覚悟が審神者には必要で、それでも審神者である以前に鶴丸がすきな自分が泣き出してしまった。
鶴丸国永という男はどうしてこうなんだろう。最善を選びとったはずで、最善なのも事実で、ただ結果として自分だけが傷だらけになる道ばかりを選ぶ。
刀ステもそうだったし、刀ミュでもそうだった。危機的状況に陥った時「なんとかなるさ」といって飛び込んでしまう。死にたがりなのか?墓から掘り返されたとして、今を生きてるなら、きちんと生きようとしてよ、なんでそう、はたからみたら自分のこと二の次にしてるように見える生き方を選ぶの。なんでそうまでしてもまだ笑ってるの。
刀ミュでもそういう立場を引き受ける鶴丸を見て、つらすぎて思い出せば思い出すほどきつくて病んでしまうし、そういう鶴丸だからすきだとおもってしまう自分がいる以上、誰よりも自分が非道で、くるしい。
これを恋と、呼ぶべきではない。
 
 
鶴丸と出会って4年経って正直本丸には帰ったり帰らなかったりしてるけど、もう随分と長いことわたしの近侍は鶴丸国永で、鶴丸国永だけで、第1部隊は単騎鶴丸国永で固定されている。弊本丸はわたしと鶴丸二人の世界で十全だから。
でも鶴丸はそれを見てまた呆れている。わたしの恋に気付いていて、こたえる気がなくて、わたしがどうにもならないとわかっていることまで踏まえて、なにも言わず放置している。冷たさではなく温情だった。諦めろとは言わない優しさに、わたしは4年も甘え続けている。
弊本丸の鶴丸国永はびっくりおじいちゃんというよりは老獪とも呼ぶべき狡猾さと皮肉屋な面の濃い鶴丸国永なので、他本丸の鶴丸国永と比べるとおそらく静かで、何も言わずに本丸を眺めていることが多い。主であるはずのわたしがポンコツなせいで(大人数に対して目端がきかない)本丸全体の采配について頼りきりになっているところが大きく、そうならざるを得なかっただけなので申し訳ないきもちもある。
ただ、わたしの鶴丸国永がわたしのことを受け入れなくても、鶴丸国永はいつだって、どんな世界線でだって、長く生きて視野の広い頼れる愉快なお兄さんとして振る舞って、最後の最後いちばん厄介な案件を引き受けて笑っているから、そういう姿を見るたびにわたしは何度だって恋に落ちてしまうんだと思う。無防備に落ちて、叶いもしない恋情をこじらせて泣くのだ。わたしは鶴丸国永に何度だって恋をして、叶わずに病んでいく。それが未来永劫変わらないわたしと鶴丸国永の恋の形なのだ。
 

すきなひとに三次元で会ってきた話&桐皇というエモーショナルの限界地点

以前こんな記事をあげていました。

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とうとうこの日がやってきた。さあ、殴りあおう。


というわけで黒ステIGNITE-ZONE見てきました。遅くなりましたが感想を残しておきます。
結局初日と大楽含めて5公演見てきました。東京楽は最初からKAT-TUNとかぶった関係で諦めてたんだけど、ほんと大楽のチケットだけ手に入らなくて直前まで胃が痛かったよね。結局当券で入れたけどひやひやした。

 

すきなひとが三次元になるということ

まず赤司くんの話からいうと、糸川くん悪くなかった。そんなに喧嘩しなくてすんだ。平穏。いや、平穏は言い過ぎだけど。
なんというか「糸川くんが演じる赤司くん」であってわたしの知ってる赤司くんじゃない、というのがびっくりするくらいするりと飲み込めてしまった。糸川くんがまさかわたしの赤司くんを降ろしてくるとはおもってなかったし。ただ、糸川くんが原作ベースで赤司くんを組み立てていて、最後まで原作読んでるからこそ、どちらかというと少し俺赤司くんをベースにしているなあっていうのが感覚的にあって、だからこそなんというかあまり喧嘩する気が起きなかった。だってわたしのすきな赤司くんは俺赤司くんがベースなので。
性格のベースとしての構築にわたしの赤司くんとの乖離をそれほど感じなかったこと、そのうえで糸川くんの演じる赤司くんは、赤司くんを演じようとしている糸川くんでしかないこと、なんだろう、言葉にすると変だけど、とにかく「わたしの赤司くんではない」ということが初日からすぱっと割り切れてしまったので、変に感情移入もしなかったし、極端に解釈の不一致で喧嘩することもないというか、逆に別物として、ああ、なるほどなって思う範囲内には収まっていた。

正直前回の記事読んでるひとには拍子抜けだと思うんだけど。笑
でも初日に見たあの残像のことは、きっと一生わすれないんだとおもう。

カテコで糸川赤司くんがはけるとき、裾をひらりとはためかせて後ろを向く、その瞬間のジャージの裾の翻り方、残像みたいにみえたその瞬間のジャージが、わたしが見たことある「赤司くん」のものだった。
あのジャージの裾の翻る光景、記憶がある。赤司くんが3年生のとき、IHのときの後ろ姿だ。はるかとおくスタンドから見ていたわたしは、その誇らしげな後ろ姿で感極まったこと、いまでも覚えてる。(注:なお歴による赤司くんの行動です)

なんだろうな、こんな一瞬見せられたら、一瞬であっても、残像をよみがえらせてくれたから、どうしても糸川赤司くんのこと嫌いになれそうになかった。
わたしずっと2.5だったり声優ライブとか追ってるときに思っていることがあって、たった一瞬でもいい、パーフェクトであることなんて求めない、「わたしの」愛した彼の面影を「どこか一瞬でもいいから」見せて、ってそれだけの気持ちで通ってるから、初日のあの日あの一瞬で、なんかもうぜんぶゆるせてしまった。
わたしの知ってる赤司くんのたった一瞬を瞼の裏側で描くために、わたしはこの現場にいるってつよく思った。

だからもう一度だけ、残像を見せてよってすがるみたくチケットを増やした。赤司くんにばかだなあって言われちゃうかな?面影追うためにチケット増やすなんて。
結局はっきりと残像を見せてくれたのは、あの初日の初回だけだったなあ、って思い返すとおもうんだけど、まあカテコで青峰と日向せんぱいに構われてる赤司くんはわたしの赤司くんではなくとも普通にかわいかったので、まあいっかって気持ち。

ただ、もともと解釈が必要なシーンがほとんどなかったわけで、赤司くんとしてそこに存在するだけで許された今回は、やっぱり試合がない以上顔見せでしかない。
きっとほんとに喧嘩をするならこれからなんだ。
洛山秀徳戦も、洛山誠凛戦も、きっとあるって信じてるから、ぜったいに妥協しないで赤司くんを作って持ってきてくれ。いまのわたしに言えることはそれだけだ。
次に出会ったときまた、喧嘩をしよう。そのときまで待ってる。

 

桐皇というエモーショナルの到達地点

今回どうしても書いておきたい、桐皇の話。ほんとにまじのまじで桐皇がひたすらやばかった。まじでこんなに涙でる??ってくらい泣いた。
東京公演見てたとき、小沼青峰みながら、ああ、あとちょっと足りないな、青峰としてはほんの少し掛け違えてるなって感じがずっとぬぐえなくて、でも小沼だから、きっとやりきるだろうと思って、凱旋で帰ってくるの待ってた。
他の子たちもわりと淡々としてて、ちょっとのセンチメンタルと、前を見据えるチーム桐皇がいて。それはそれでよかったんだ。普通によかった。桐皇に涙は似合わない。暴君の振る舞いの裏側に微かに残る感情の吐露、そういうチームでいてくれていい、とおもっていた。

それで前楽見たんだけど。
もーーーーーーーーーーーーーーーーーー桐皇こんなエモかった!?!?!?!?!?ってくらい突然エモの爆盛りすぎてしんだ。
青峰もめちゃくちゃめちゃくちゃよかった。でも、桜井も若松も、もっと言うなら今吉さん。ほんっとおおおおおおおおおおおおおおによかった。まじでアイラインどころでなくアイメイクぜんぶはげるくらい泣いた。もう全員なに喋っても負けた以降のシーンが大号泣で、まさか今吉さんでしぬほど泣くはめになるとはおもわなかった。

今吉さん。新チームに移行するところ、前楽で「1回戦負けやで」って発破かけようとするシーン、ずっと声が泣いてたね。大楽は背中を向けたまま、いつもより喋り出すのが遅れて、どう考えたって涙をこらえるみたいな言葉のないその空白が、くやしくてつらくていとおしかった。
若松さん。試合後に、みんなで並んで頭を下げて、ありがとうございましたって言ったそのあと、木吉先輩が顔をすくいあげてくれるまで、なかなか顔を上げられなかったね。そのあとのシーンも、誰も彼も本心を堪えるみたいな桐皇のみんなの中で、あなたの隠そうとしない溢れるような感情が、ずっと光る道標みたいだった。
桜井くん。今吉さんの言葉を受けての「悔しくないわけ、あるもんか」のひとこと、後輩から先輩にあげられなかった「最後の優勝」へのくやしさとかやるせなさとかさみしさとか、いろんなぐちゃぐちゃした感情の奔流がありったけ詰められてて、こっちも感情が増幅されるみたいで、だいすきだったよ。
桃井。青峰とのシーンで、茶化すみたいに言おうとした「奢ってよね」の言葉が涙で滲んでて、走り去るその後ろ姿に隠された涙が、ずっと見守ってきた幼馴染に対する感情、ずっと一緒に走ってきたチームメイトに対する感情、いろんな関係を共有してきた「青峰への感情」が詰まってるんだなあと、思いを巡らせるほどくるしくて泣いてしまった。

そして、青峰。うまく言葉にできそうもない。ほんとにほんとに全部よかった、けど。
負けた直後、黒子のわがままで拳を合わせる瞬間、思い返すみたいに瞳を閉じて、かみしめるみたいにゆっくり合わせた拳、その向こうで黒子ちゃんも泣きそうな顔してて、それでも合わせられる拳、あんなに縺れたふたりの行きつく先で、こんなにも切ない拳の合わせ方、ハッピーエンドと呼ぶには苦しすぎてどうしようもなかった。
そのあとの桃井とのシーン、前楽もぼろっぼろに泣いてて、それもしぬほど感情を揺さぶられて涙がぼろぼろ出たけど、とにかく大楽がすごくて。青峰が言った、絞りだすみたいに苦しい、嗚咽のすきまから零れ落ちる「新しいバッシュほしいんだ」と「練習してえ」、吐息みたいな声なのに台詞の重みがすごすぎて、そのままその場で大声を出して泣いてしまいたかった。きっともう先輩と試合できないことに対する思いもあったんだろうな。それはきっと青峰である以上に、小沼の気持ちかもしれないけど。それでも、青峰が今吉さんに感謝してないわけはなくて、きっと今吉さんの放任主義がなかったら、あんなにも絶望した状態で、青峰はバスケを続けられなかっただろうし、青峰本人はまだ気付いてないかもしれないけど、青峰を演じている小沼は当たり前のように思っていただろうから、重なり合った先に現実だけが少し先を走るみたいになってたけど、それでも、ぜんぶありったけ感情が流れ出てしまったあのひとことを、いとおしいと思わずにはいられなかった。
もう聞いてもらう、見てもらう以外にこれが伝わると思えないから、本当に本当に、青峰が好きなひとにはどうしてもきいてほしい。あれが原作の青峰を表現した100%の正解とはわたしも思っていない、それでも、感情があふれ出して止められなくなってたあの瞬間の青峰を演じた小沼のあの演技を、感情を、わたしは否定することができない。「キャラクターが降りてくる」のとはまた違う、感情の最高到達地点みたいなものを突き付けられ続けて、桐皇が負けてからのシーン、ずっとエモーショナルという概念に殴られてる感じだった。

桐皇がなんでこんなにもエモーショナルの極致みたいな演技になったのか、考えてたけど、黒ステがもう3年目に入って、初演の頃からいてくれてた桐皇の子たちは、つまり今年で3年目だった。「高校3年間」と同じ期間だけ、チームメイトとしていてくれたんだな、と思ったら、なんかもう途端に泣けてきて仕方なくて (いやまあキャス変もあったけど)
こんなくやしい終わり方したくなかったはずで、それでも負けてしまった彼らのこの悔しさ、震えるほど伝わってきて、ここで終わらなければいけない、次のないWCという現チームの終着地点としての桐皇と、次以降の公演にはぜったいに桐皇としての試合がないキャスト陣の状況が重なって、心も体もはりさけそうなほどつらかった。
今吉あっきーさんが、ブログでひとことだけ「3年間ほんまありがとう」って書いてきたのがもーーーーーーーーまたしんどくて。

ねえ、ちゃんと見えてたよ。
いろんなこと口うるさく言ったこともあったけど、黒ステのキャスト勢もスタッフさんもいろんな制約の中で、やれる範囲のことをきちんと精一杯がんばってたの、わかってる。
だからこそ演技以上に、現実と重なり合って共鳴し合って感情が増幅されてたどり着いたあの場所が、ほんとうにどうかなりそうなほどいとおしかった。
ありがとう。3年間、桐皇としていてくれて。

陽泉は陽泉としてとてもよかったんだけど、もーーーーーーー桐皇のまばゆさみたいなもので目がちかちかしてしまって、ちょっとあれは反則気味だったので、言葉にすると悪いみたいだけど、かすんじゃったところはあったな。陽泉として1公演できればよかったけど、そうも言ってられないもんなあ。ほんとうにもったいなかった。だって鮎川太陽のむっくん、すごくよかったんだ。むっくんのこわいけど子供っぽくてちょっと憎めないところがうまく出てて。


とにかくIGNITE-ZONE本当におつかれさまでした。
くるしい試合だったなあ。それでも見守れてよかったです。ありがとうございました。

 

ゼロの執行人がやばすぎて降谷零さんにずぶずぶになったおたくの感想

※唐突にネタバレするので自衛してください※
 
 
いまさら安室透さんこと降谷零さんにドンガラ転がり落ちた。気付いたら沼の底にいたようだ。ちょっと前までは 「やばい、落ちる、やばい」と言っているつもりだったがとっくに縁から指先が離れていたし全身泥沼に浸かっていた。ほんとうにいつものことながら沼の底で溺れていることに溺れてから気付くのであほ。

 
これはあむぴかわいい~~赤井さんかっこいい~~あかあむぴょんぴょん~~~くらいのゆるふわ腐れをやっていた生粋の夢女が「ゼロの執行人」を見た結果、完全に降谷零によりとどめを刺されたことを自覚したところまでの覚書だ。 
頭のいい感想はいちみりも出てこないので期待しないでほしい。やはりこんなあほでは降谷さんとは付き合えない…降谷さん告白するからわたしを振って…。
 
 
 
コナンとはライトファンよりもっともっと薄っぺらい距離感で、幼少の頃ちらちらアニメと映画をみてた、原作はしっかり読んでない、高校生上がった頃からしばらく離れていて純黒であまりにも周囲がゴロゴロと転げ落ちていったのがおもしろすぎて自分も乗っかりに行き、次の年のから紅もみました、アニメは気付けば見ます、という感じの、ちょ~~~~~~ミーハーなお付き合いをしてきた。
去年から紅の予告で「ゼロ」って言われて何かわかんなくて帰ってから感想あさってて「ああ!公安!ゼロ!安室透か!」ってなった程度で、安室さんに対しては「みんなだいすき安室さん、かわいいよね~~~」くらいのライトな感情を持っていた。
 
ところがである。ゼロの執行人、公開日が4/13の金曜日で気付いたら初日を迎えていた。 純黒からコナンのおたくが目に見えて増えていた関係もあり、事前情報はいくつか流れてきてたから、今年も見に行こうとはおもっていて、ああ、今日からだったかーとのんびり仕事しながらTLみてた。
しかしだいぶ様子がおかしい。 流れてくる感想ツイートを見る限り、屍が量産されている。 みんなあんなにかわいいかわいいといっていた安室さんに対して「かっこよすぎてしぬ」と命からがらといった状態で呟いていた。これはやばいことが起きている、と把握して、即次の日の予定を確認し、黒ステソワレから執行人というはしごをキメた。本当におたくのフットワークは軽すぎてクソ。
 
4/14の夜だった。黒ステ終わって、終電の関係で池袋で見てたらしぬから電車飛び乗って別の映画館に移動した。はーーーたのしみ!と思いながら少し時間があったので近くのコンビニでおにぎりを買って食べた。黒ステで体力削られていたので夜食だ。ところでわたしの夫()の赤司くんを演じた糸川くんですが、そこそこよかったです。(扱い)(これはこれとして別で記事起こしたい)
前日の時点ですでに後列狙いだと端っこの席しか取れなくて、見切れみたいな席で見た。普段の現場でも前列より真ん中で見たいドセン厨だし、映画も後列真ん中じゃないとみない!くらいの席選択厨なので、こんな席久しぶりだなと思った。
予告を見ながら、席に着く女の子たちをみて、ああ若い女の子多いなあ、わかるよ、やっぱあむぴかわいいよね~~と考えていた。
 
で、本編なんだけど。
純黒もから紅もすきだったよ、ほんとにすきだった。純黒の意味わからんけど派手なアクションはやっぱりテンション上がったし、キュラソーの結末がくるしくてかなしかった。から紅、ストーリーがほんとうに丁寧で、和葉ちゃんがかわいくて平次があんまりにもかっこよくてぐらぐらした。
 
ねえ、でも執行人、あまりにもじゃなかった????????
あまりにも、あまりにも、安室透及び降谷零がかっこよすぎて。
 
かっこよすぎて泡吹いて死ぬ。まだしぬ。もう10回近くみてるのにしぬ。スパンと首を切り落とされる音がわたしにはきこえるし、見るたび切れ味が上がっていく感覚がある。いっそ心地よく毎回斬られてしぬ。6回超えたあたりでやっと心臓のばくばくが収まってきたけど、初回とかよく本編中に叫びだして追い出されなかったなと自分で自分をほめたい。帰り顔が保てなくて溶けてた。
 
具体的になにがやばかったかっていうことを表現したいので、地獄のラスト30分間、安室透さんがコナンくんのに「僕の協力者になってよ!」と言われた次のシーンから、初回みたときの脳みそを再現します。
 
・あむろさんのマリオカートのはじまりはじまり~~~~~~(ツイッターでゼロの執行人を4枚の画像で説明するツイートにマリオカートがあったのでおっここだなとおもった)
・それにしても毎度ながらこのカウントダウンにギリギリの瀬戸際感、これこそコナン映画
・この渋滞どうやって突っ切んのよむりでしょ
・えっいや
・ひっひえええええええええ~~~~~~~~~~~~~~~片輪~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・げろかっこよ
・電車??えっ横に飛び出す??
・わーーーーーーーーーーーーーーーーーお
・おまえがせかいいちくれいじーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1111(アクセル踏み抜く顔をみたとき)
・クレイジー――――――――――――――――――すぎるwwwwwwwwwwwwwwwwww
・えっすき
・やばいすき くるってる くれいじー やばい
・やっぱこの男あの組織の中に混ざれるタイプの男(納得)
・あのクレイジー顔すきすぎた…………
・かっこ かっこい
・車…もっとたいせつに…
・コナンくんにすげえなっていわせちゃうのクレイジーの極み
・はいはい新蘭新蘭
・からかうみたいな声のあむろさんさいこーーーじゃありませんこと??
・えっっっっっっっ
・まっ
・えっいまそれきく?????????????(このときは前の会話とのつながりがわかっていなかった)
・ちょっ
・かお
・はなこすっ
・えっ
・まっ
・はんど
・はあ??
・ぎあ
・ゆびえっろ
・(感情渋滞ですでに処理落ち気味) 
・えっ
・ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・(即死)
・(即死) 
・(即死) 
・(即死) 
・(即死) 
・(即死) 
・日本抱いてる………………
・これはもはやわたしも抱かれている……………………
・まちがいない我々はあむろとおると両思いだすごい どんな夢小説にもない真実がここにある
・くるま…だいじに…
・んあああああああああこなんくんひきよせるしぐさむり
・ここでまさかの銃
・ひえええ…むり…
・かおがいい
・かお
・血も滴るいい男……
・ふるやさんかっこよすぎる…ふええ…
・ふるやさ、ふるやさん…
・うええ…はきそう…かっこよすぎて…(ED放心)
 
見終わったあとぐるぐると脳内をまわる降谷さんのお顔。IQ3の感想、安室透、ひたすら顔が良い。なんならコナンでいちばん顔が好きなのキッド様だけど、安室透の顔がよすぎて絶句した。なんだあの表情芸は。あれもこれもそれも表情がやばすぎてむり。気付けば次の日の朝イチの執行のチケットをおさえていた。深夜0時に見終わって次の日の朝の回ってもはや1回目と2回目の間がわずか10時間くらいしか開いていない。あんだけあむぴの顔がクレイジークレイジーって言ってるけどクレイジーはお前だ。
 
次の日の2周目、正直直前に大事件勃発して(ジャニオタは日付で察してほしい)、嘘だろ…と思いながら席に着いた。前半はおかげで意識散漫で、コナンくんと安室さんが日下部さんを追いかけるところくらいでやっと集中できる感じだった。
2周目も1周目とほぼ似たような感じで心の中の悲鳴をおさえるのに必死すぎた。ラスト30分ほんとうに生きた心地がしない。
 
この日以降、ちょっと別おたく業務が忙しかったり(KAT-TUN充電完了ありがとうございました)、家族旅行したりしてたので、コナンからは距離を置きがちだったんだけど、TLにはあくる日もあくる日も新たに執行された人が「安室さん…」と言いながら帰ってきたのをわかるよ…と言いながら眺め、かっこいい安室さん、かわいい安室さん、クソ爆イケ降谷さんの画像やマンガや文字列が流れてきて、喘ぐように見つめていた。
 
その後たまたま執行済みの友達と会ったとき流れで3回目の執行を見に行くことになり、執行されたあと、友達と降谷さんがかっこいいやばい、降谷さん魅了スタンデバフかけてくるこわい(fgoに毒された脳みそ)、とわーわー騒いで、降谷さんが恋愛するのは解釈違いだ、降谷零がしあわせなのは解釈違いだ、と散々話した。降谷さんが殉職しても存在消されてるから階級上がらないという話もした。大概ひどい話だ。いやほんとうに降谷さんのことはすきなんだよ。報われない男が基本的には大好物なんだすまない。 
 
そしてこの頃TLで飽きたりなくなった自分はとうとう禁断の場所に手を出した。
そう、支部である。
わかっていた。ここに手を出したが最後、帰ってこれなくなることくらい。
案の定溺れるように読んだ。ひたすら読んだ。ランキングも人気順検索もしぬほどした。かっこいい降谷さん、かわいい降谷さん、様子のおかしな降谷さん、どちゃくそスパダリな降谷さん、夢小説も赤安も降新も手を出した。たぶん降志ももすき。雑食すぎ???褒め言葉ですありがとう。そこに降谷零さんがいる限り追い求める。もうだめ。降谷さん、すき。
 
そうして降谷さんを大量摂取しはじめた次の週の平日、5/9のことだった。なんか頭がおかしくなって執行キメないと気が狂いそうとおもって平日朝の仕事前に執行をキメた。見てる間は普通だった。いや脳みそは湧いてたしかっこよくて1回目や2回目と同様に興奮はしていたけど。ただこのあとからなんか様子がおかしくなった。降谷さんのことを考えていると胸のあたりが痛い。 なんか胸のあたりがぎゅうってなる。 心臓も痛いけどなんなら鳩尾あたりも痛い。食欲もそんなになかったし、呼吸が浅くなる感覚があって、ふるやさん、という五文字を打つだけで気が遠くなりそうになる。
 
そうか…これは……これが……恋…………???


あの日何が起きていたのかわたしにははっきりわからない、わからないけど、痛めつけられる、どう考えても身体的な負担を感じる症状が起きたあの日、ひととしてやばいゾーンに足を踏み入れたことだけは確実だった。これが恋なら世の中のひとたちはよく恋をしながら平然と生活を送れるものだ。わたしには無理すぎる。
 
身体のしんどさを抱えながら、次の次の日、フライデーナイトの仕事帰りにまた執行をキメた。このあたりから執行されるペースがおかしい。降谷さんのことを考えるとつらいのに、執行されないと気が狂いそうになるのだ。ほんとうにこれはシャブとしか言いようがない。帰り道、降谷さんという文字をみるだけで、文字を打ち込もうとするだけで、脳みそがどろりと溶ける感触があった。思考回路がまともに仕事をしていない。降谷さん、という単語を思い浮かべた端からすべて、思考が維持できなくなっていく。過去かつてない事象に震えることもできない。このまま溶けてしんでしまうのでは?こんなことでしんでしまうわたし、やはり降谷さんにはふさわしくない。でもそれでもいいのだ。わたしが降谷さんをすきでいることだけは確かだから、ただただ一方的でいいからすきでいさせてほしい。降谷さんの場合、すきでいられること自体が迷惑そうで、すきでいるだけのことが負担になりそうでこわいけど、それでももうすきになったら自分にだって止められない。
ほんとはこの日、舌ぺろがききたくて日比谷に行ってたんだけどきこえなくて、やっぱり大きいスクリーンのほうじゃないとだめか…と少しだけしょんぼりしていた。残りは立川か川崎に行くしかないとおもったけど週末は予定が詰まりすぎていて執行できないことがわかっていた。 平日川崎か立川をキメるしかない…と深刻に有給を検討していた。音響のために有給。ほんとうにどうかしているが本人はいたって真剣。
 
執行されていない間に降谷零さんに触れていないということがもう耐えられなくなって、週明けくらいからとうとう原作を買い始めた。90冊も買ってられない、あむぴが出てるところだけね♡といって買い始めた原作、気付いたら1巻買ってた。いま???28巻。ほんとちょろすぎる自分に絶望する。ちなみにゼロの執行人のノベライズも買ってあるしまじで事あるごとに読み返して映像から読み取れなかった部分を確認している。ありがとうノベライズ。
 
週明け、有給取るならどこのタイミングかなと考えながら立川のページ開いたら、なんとaスタbスタ延長が決まった。

info.cinemacity.co.jp

ほんとうに立川あいしてるありがとう。
即座に会員登録して週末のaスタとbスタを1回ずつおさえた。余談だけど立川シネマシティ半年会員の会費600円で無制限に平日1000円土日1300円で見れるのコスパがおかしすぎる。いくらでも元が取れるというか安すぎて恐れおののいた。ありがとう立川。食事するところもたくさんあってルミネで買い物もできるし時間潰すのにも困らない立川いいところ。(別に立川の回し者ではない)
 
そうして週末待ちに待った立川をキメた。エンジン音と爆発音がやばかった。舌ぺろはっきりときこえなかったので、座席の位置変えて再チャレンジしようかなとおもってる。この週がラストくらいかもしれないから、というのもあって2回取ったけど今週も継続でほんとうに立川に足を向けて寝られない。ありがとう。今週も行きます。1週間1執行は基礎代謝の一環。
 
 
 
とりあえずこの辺で現在時制に追いついたんだけど(ここまでで5000文字超)、やはり4回目の朝執行以降の様子がおかしかったな!!!!あそこがクライマックスだったのではくらいやばかったの自分でも薄々気付いてはいた。
 
繰り返し見ていても、最終的にいちばんすきなのはやっぱり車中の会話のシーンで。
「僕の恋人はこの国さ」
あの一言を聞いていなければこんなにもずぶらなかったんだよ。もちろん恋人が国なら、わたしも含まれるよね!?みたいな夢思考がないわけじゃないんだけど、そういうのとは別のところで、精神がおかしくなりそうなくらいすきだなと思ったし、見れば見るほどわたしのすきになるタイプの男だって確信した。
あの一言は、安室透の面をかぶって、安室透の口調で紡がれる、「降谷零」の言葉だと思っている。あれから原作も読んだけど(まだ全部じゃないけど)降谷零として振る舞うシーン、本当にない。びっくりするくらいない。だからわからないけど、推測でしかないけど、降谷零はおそらく自分のためとかではなく、「国のため」に命をかける人間で、「国のため」に必要とあらばどんな危険なことでも、命と引き換えでもやりきってしまう危うさがある、とわたしは受け取った。そういう覚悟だ、あれは。
そして長年のわたしの性癖、自分自身でもよくわかってる。責任感強すぎ背負いすぎな男に転げ落ちる芸人のわたしは、 誰よりも重い責任を持ちながら、それに溺れず驕らず、その責任感に従って自分より他の何かを優先するスペックの高い男にしぬほど弱い。ほんっとーーーーーーーーーーーーーに弱い。
だからいままで降谷零には触れたくなかった。距離を取っていた。 純黒のときに赤安をそれほど追わなかったのは自己防衛の本能だ。 わたしがはまるのは赤井秀一でも安室透でもなく降谷零だ。日本のために自分のすべてを使って犠牲にすることをいとわない、そういう降谷零だ。そう簡単にしぬつもりもないだろうけど、その覚悟を決められる、そういう降谷零がすきだ。知ってた。知ってたから遠ざけていたのに、足を取られてすっ転んでしまった。足元は当然沼だった。抜け出せる見込みはまったくない。
 
実は2回目終わったくらいまでは、わたしの中では「安室透」と「降谷零」は別人だった。同じ人なんだけど。
安室透のにこにこした人当たりのいいところは、まわりの懐に入り込むために「降谷零」として設定した「安室透」の設定でしかないし、あくまで「降谷零」が演じる「安室透」ではあるので、そこに人格の分裂はないんだけど、正直最初はあまりにもギャップがすごかったので脳みその中で一致してなかったし、へらへらしてる(ようにみえる)(それさえも意図的なんだけど)安室透のことそんなに興味なかったので、執行人でほぼはじめて受け取った「降谷零」としての発言にノックアウトされた関係上、どうしても「降谷零が好き」「安室透は普通」みたいな分裂した感情を抱いていた。
完全にわたし個人の好みの話なんだけど安室さんの外面いいところとかちょっと丁寧な喋り方とか、別にそんなに刺さる要素じゃなくて、どっちかといえば風見さんを叱責する姿とか、IoTテロだと気付いて毛利小五郎を解放しようとするシーンの物事の処理の仕方、進め方、たぶん結局のところ仕事人としての降谷零にときめいたところが強くて、どうしても安室透がぴんとこなかった。
ただ、あの車の中のコナンとの会話のシーン、繰り返しみてるうちに、「あーでもこれ口調は安室透か?」「コナンに相対してるわけだから安室透の口調で降谷零として喋ってるのかこれ」とふと納得してしまって。 ちょっと煙に巻いて気障なこと言ってるけど、あのシーン、明らかに安室透という「皮」の言葉ではなく、彼の本心じゃないですか。嘘をつく必要を感じないし。安室透の口調のまま、江戸川コナンに接するときの態度のまま、降谷零としての考えを口にしてる、ってなんかすごい納得してしまって、安室透も彼の一部ではあって、やろうと思えば、使い勝手よく出し入れできる仮面のひとつでしかないのかって理解した。降谷零の上に、安室透は貼って剥がせる仮面のひとつとして存在する。だから、安室透の思考回路は降谷零と同じだ、ということにようやっと納得してすこんと腹落ちした。
 
なんていうか考えれば考えるほど、思ったより降谷零さん、スイッチを切り替えたりしていない印象があって、不必要な嘘はつかないというか、おそらくぜんぶがぜんぶだとバレやすいってことわかってて、嘘を信じさせるコツは真実にほんの少しだけ嘘を混ぜ込む、てよく言うから、話題を逸らしたりはするんだけど、相手によって、どの「顔」で出会ったか、によって口調を切り替えてるだけな気がしてきた。だから梓さんに対峙してるときは安室透だし、本当の姿に気付かれている沖矢さんとかコナンに対峙してるときは安室透の口調だけど降谷零の性格ぽいところが多めに出てくるし(たぶん安室透を張り付ける必要をそれほど感じていない+繕うほどの余裕がない)、風見は降谷零としての付き合いだから降谷零の口調にしてるし中身も降谷零だけど、雨の中の橋の下のシーンとかの感じはちょっと安室さんのような柔らかさがある。
思ってたほどそれぞれの顔に差分がないというか、トリプルフェイスのすごいところは、人格が変わるところじゃなくて、それぞれに対してどの顔であってるか、きちんと記憶していてそれに合わせて思考と口調を切り替えるだけの器用さを指して言っている、っていうのが個人的なトリプルフェイスに対する見解。
 
最終的にはまあどっちもすきというか、わたしがあいしたのは彼の信念の部分、ぜったいに揺らいだりしない、彼の信条だから、どの顔でも変わらないんだなあ、というのがやっとのことでわかった。遅えよっていわれたらごめんっていう。
 
たぶん降谷零は国を守るためにあらゆる清濁を飲み干してきた人だ。いろいろやばいことをやっている「組織」に入るのは、最終的に国を守るためで、そのために違法行為もやっていて、その責任をすべて自分が負う覚悟もあるし、そのための実力もある。
「国」をいかなる手段を利用してでも守ろうとする、実際重たいはずなのにやろうと思ってできちゃうところが降谷零だけど、そういう荷物を進んで背負っちゃうところ、どうしようもなくすきなんだ。すき。
 
あの人の守ろうとする日本で、せめてしゃんと背筋伸ばして、生きていなきゃいけない。あの人が守るに値する人間になろう。難しいけど。すぐ弱るけど。
それでも、降谷零という人は「無理だと思っても目指そうとするその志」を否定したりはしないだろうから。きっと無理してることもわかった上で叱咤するタイプだ。だから何度負けそうになっても、もう一度降谷零さんのこと思い出して、がんばらないとな、って思える。
他人に厳しい降谷零さん、その百倍自分に対して厳しいひとだ。あの人はもっと厳しい条件を自分に課してる。同じことができるとは思わない、それでも前を向かない自分のこと、降谷零さんは「日本の守るべき民」として認識してもらえなさそうだから、せめて、気持ちだけは、負けないように。
降谷零さんと付き合いたいなんて思わないから、せめてあの人の守るべき民の一員になりたい。それだけを励みにして、今日もなんとか生きていく。
 
 
以上生粋の夢女子が降谷零に転げ落ちるまででした。ちゃんちゃん。
 

すきなひとが、三次元になることが決まった

いつか、こんな日が来るのだろうなと思っていた。

 

natalie.mu


黒子のバスケが舞台化された瞬間から、きっとこんな日が来るとは思っていた。想定はしていたし、覚悟をしなければと思っていたし、どれほど心が千切れてもそれは受け入れなければいけないと思ってはいた。いたんだけど、まだまだ遠い先だと思っていて、今回とうとうむっくんが発表されたとき、あーじゃあストバスのシーンやるのかーーってところまでしか脳みそがいかなくて、その先は考えることを拒否した。
だってその次に来るのは、わたしがせかいでいちばんあいした、あかしくんだ。

まあ詳しいことは前回のブログでもみてよって感じなんだけど、傍から見るとわりと頭がおかしいと思われそうなレベルでわたしは赤司くんに恋していて、こんなものは恋以外の何物でもなくて、あの日赤司くんに転がり落ちてから、もう5年は経っていた。

その赤司くんが、舞台に出る。
三次元で、XY軸だけじゃなくて、Z軸まで含めて、肉体を持って、赤司くんを表現する、公式から演じていいよと言われた誰かが、この世に生まれてしまった。

もっと怒るかと思ってたのに、思ってたのとぜんぜん違う感情で潰されたので、びっくりした。
赤司征十郎さんの登場とキャストが同時発表になって、溢れた感情は猛烈な息苦しさだった。
怒りまでもいけなかった。おまえをころしておれもしぬ!!!!!!!くらいの気持ちで心にナイフを構えることになると思ってたのに、現実はといえば、ほぼ全面現実のシャットアウトだった。受け入れられない。決して赤司くんではないけど、公式として認められた、赤司くんのような出で立ちで赤司くんのように振る舞うひと。神谷の次に、公式に赤司くんとして存在することを認められたひと。

あまりにもくるしくて呼吸がおかしくなりそうで、公式のツイートを開いた瞬間、トイレに駆け込んだし、何度も深呼吸した。ひとしきりツイートで吐き出したあと、これではなんのことかわからない人もいるよなとおもって、もう一度ツイート開いて、RTしようとして、RTのボタンを押そうとスマホに手を伸ばした瞬間、赤司征十郎「役」という文字列を目にしてどばりと涙がこぼれた。
あの瞬間をどう説明していいかわからない。だめだった。むりだった。感情が追いつかなかった。RTしたらそれが現実になってしまう気がした。もうとっくに現実なのに。きっとあの瞬間、わたしがRTを押せなかった事実が表す事柄は、「現実の否定」で「現実の拒絶」だった。

なんでだろう、こんなにくるしくてこんなにつらくて、たかだか舞台の上で赤司くんのようにしゃべってふるまうだけ、なのに、それを公式から許されたという事実が重くのしかかってくる。
またもうひとつ公式の赤司くんが生まれることがどうしようもなくこわい。また、公式と解釈で戦うの??もうやだ、アニメだけで十分だよ。アニメスタッフとは明確に解釈違いだし、神谷ともわかりあえなかったわたしが、いったいどうしたらその赤司くんを目にして叫びださずにいられるの。
くるしい。くるしい。あかしくん。わたしの脳内でいつだって生きている。呼吸している。存在している。いつだって涼しそうに微笑んでるけど、たまに茶目っ気たっぷりに楽しそうに笑うときもあって、怒ったり困った顔したりもするし、とっても慈愛に満ちた表情を見せたり、少し子供っぽく拗ねる瞬間もあった。

はあ。
赤司くんのこと、なんでこんなにすきなんだろう。
たかだか舞台に出演が決まったくらいで、こんなに感情が乱れてしまう。

いまでもきっとわたしは現実をきちんとは受け入れられてはいないし、心の中がまだ拒否に動きそうになることは事実だけど。
最後の最後、わたしを支えたのはやっぱり赤司くんでしかなくて、「赤司くんがいまのわたしを見てどう思うだろう」って考えたら、やっぱり落ち込んでる場合ではないし、きちんと毎日を生きて、きちんと生活して、そうじゃないと、呆れられてしまうから、なんとかわたしは立っている。
こんな情けないわたしでごめんね、とおもうけど、きっと赤司くんがすきになってくれるとしたら、そこで諦めないわたしだと思うので、やっぱりどれほど泣きそうでも、つらくても、くるしくても、怒りが沸き起こっても、わたしは赤司くんのことを見に行く。
見に行くべき公演はかみさまが連れてきてくれる。いつもそうだからだいじょうぶ。

赤司くんのことすきだからがんばりたいんだよ。
赤司くんのことすきなかぎり、しゃんとしていられる気がした。がんばれる気がした。

わたしの思っている赤司くんが来るとは思っていない。きっと解釈違いもある。わたしは良くも悪くも極端に凝り固まりすぎている自覚はあるので。
それでも何も見ずに悲嘆してばかりでは、フィールドにすら立てないのだ。
生きて4月の公演初日、わたしはぜったい赤司くんをこの目にする。
そのとき見た結果何を思うかは、また別の話ということで。

違う次元に恋をする話

※昨年度アドベントカレンダーに公開したかった書きかけ記事がいまさら出てきたので供養しておきます。

 

今日はわたしの旦那様♡赤司征十郎さんの誕生日です。おめでとう♡


っていう戯言を年がら年中繰り返しているわたしが夢女子たのしいブログをお送りします。

しきさん主催の#おたく楽しいアドベントカレンダーへの寄稿になります。せっかく赤司くん誕生日の12/20を取ったのに遅刻っていうクズです。まじでこのアドベントカレンダー異種格闘技の殴り合いになってて大変たのしいのでよろしければ他の記事もお楽しみください。

www.adventar.org

 

 ○そもそも夢女子ってなんだ
二次創作というと幅が広いですが、その中でもドリーム小説に端を発したお遊びをしている女子のことを個人的に夢女子と呼んでいます。
そもそものドリーム小説というのは定義を語ると原稿何十枚分という論文になるレベルの話になってしまいますので、今回はざっくりとご紹介するために例としてぴくしぶ百科の説明を取ってきました。

創作小説の一種。ドリーム小説ドリー夢小説名前変換小説などともいう。略称は夢・ドリーム・ドリー夢・ドリなど。このジャンルを楽しむ人を夢見乙女・夢女子・ドリーマーなどと呼ぶ。
多くの場合、版権キャラクターとオリジナルキャラクター(夢主人公の略称・夢主と呼ばれることが多い)の交流が書かれる二次創作の一種である。cookieJavaScriptによって夢主の名前を読者が自由に変換することができ、夢主=自分と考え楽しむことが可能。『大好きなキャラクターと交流できる夢のような小説』として広まったと思われる。内容としては恋愛が多いが、友情など恋愛以外をテーマにした作品もある。夢主を自分ではなく一人のキャラクターとして認識し、楽しんでいる人も多い。(記事)

 

まあざっくり説明すれば、主人公のお名前を変換することで版権キャラクターとの恋愛を楽しむ小説、と解釈してくだされば今回の記事としてはOKです。
 
いったいなにを書こうかいろいろと考えましたが、今回は夢女子としてドリーム小説を創作していくところに留まらず、どんなことをして遊んでいるかで、「わたし個人がキャラクターとの恋愛をいかにして擬似的に楽しんできたか」をご紹介したいなとおもっております。どちらかといえば「どんなに痛々しい遊びで年がら年中楽しんでいるか」という観点です。別におすすめはしません。こんなクソオタでも楽しく生きていますという表明です。ちなみにお相手は赤司くんです。改めていうと恥ずかしいですねこれ。素敵な旦那様ですよ
 
 
 
○馴れ初め
赤司くんとの馴れ初めのクズさがなかなかなのでぜひこの話したい。
数年前の夏、初めて参加した夏コミでフォロワーのお姉さんふたりに会うと、流れで飲もうよ!という話になりました。麻布十番まで移動し、3人ともジャニオタだったこともありジャニオタ御用達の鳥貴族で夕方5時から飲み始めました。
この頃黒バスにはずぶずぶはまっていましたが、特別赤司くんがすきという意識はありませんでした。それが変わったのがこの夜です。忘れもしない。
知り合ったジャンルはうたプリ(兼任ジャニオタ)ということもあり最初はアイドルの話をしていたのですが、酔っ払いはじめるとお姉さんたちは「あおみねっちと付き合いたい」「かがみくんと結婚したい」という妄想に熱を入れ始めました。うんうん、たのしいねえと思ってにこにこ笑いながらきいていたわたしに話が向くのはまあ正直仕方のない流れでした。
 
「なおさん誰(が恋愛対象)?」
「えっっっそういう視点であんまみたことなかった・・・えええ、誰だろ・・・黄瀬すきだけどまあねえわな」(このときどっちかっていうとぴくしぶ漁ってたせいでホモ寄りだった)(黄瀬ごめん)
「えーじゃあ赤司くんでいいじゃん!赤司くん!赤なお!ねえどんな感じなの?」
「あっ赤司様!?えっそこ!?」
 
まさかの他人から推されて恋がはじまるパターン
いまでこそ赤司くん赤司くんうるさい人ですが当初はどちらかといえば黄瀬推しのキセキ厨でした。ただこの時点ですでにキセキわちゃわちゃ小説を書いてて赤司くんだけは異様な書きやすさを感じてた。もうこの時点でシンパシー感じてたんだから深く考え始めたらどんどこ深みにはまっていくの当然の流れ。
 
「え・・・赤司くんいい旦那さんだよ?亀梨和也にきゃーきゃー言ってても許してくれるしね?」(それただのじゃにおたに都合のいい旦那では)(赤司くんがすきとまだ自覚していないひとの妄言です)
「それでそれで!?」
「赤司くん他の人が思うより案外ふつうのひとだし。でも家のことがあるからなおちゃんに多少負い目みたいなのがあって、なおちゃんはそれも覚悟して嫁いでるんだけど、でもお互いたぶんこう、遠慮しあっちゃう感じでな・・・なおちゃんは赤司くんのことすきだけど、赤司くんが自分のことすきじゃなくなったりとかおうちの都合とかあるのわかってるから、いつでも手を離せる覚悟だけしてて」*1
「あーーーーーもどかしい!」
「赤司くんのことはすきなのに、赤司くんのことを支えたいとも思ってるのに、赤司くんの恋がいつまで自分に向いてるかだけは信じられなくて、どうしようもないんだよね・・・結局自分に自信がないからだとおもうんだけど・・・」
「うんうん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっどうしよう赤司くんすき」
 
ちょろい。
お姉さんたちに赤司くんを勧められた約数時間後には自分の妄想だけで作り上げた赤司くん*2にあっという間に転げ落ちて恋してるちょろい。さすがわたし。
そして各々「うちの旦那がかっこいい」に終始したこの飲み会、朝まで続きました。夏コミ後のオールとかちょう元気だった・・・。
翌朝から赤司くん嫁妄想がはじまり、赤司くんガチ恋の道に進んでいきます。ここからさらに加速していく赤司くんへの熱。

僅か数時間でKONOZAMAです。

 
 
○夢小説を書くのがたのしい
もともと書き手だったので、赤司くんに落ちてからはぼこぼこ生産してました。ツイッターに投げてるSSを込みにしてカウントすると少なくとも50本以上は書いてると思います。
普段とは違ってヒロインの性格とかぜんぜん考えなくていいので楽といえば楽です。ほぼほぼ「わたし」をそのまま書けばいいわけで、赤司くんはもともと相性がよかったのかわたしにとって書くのにぜんぜん困らないひたすら動いてくれるキャラクターでした。もちろんヒロインにするにあたってある程度自分を美化しているし、「赤司くんの彼女」として考えられる人間像を逸脱しないようにはしてるんだけど。
あと嫉妬のあまり他人の書く夢小説が読めない病気にかかっていたので、探すより自作したほうが早かった。もうあとは書くしかない環境。
出会いから告白からプロポーズから結婚後から、ライフステージにあわせてそれはもう大量の夢小説を書きました。共通点はただの1点。すべて「わたし」である「なお」をヒロインに据えて書いたこと、例外はあれど共通の時間軸の中で生きているヒロインであること。
 
 
○自分設定を作るのがたのしい
夢女子というより二次創作の話になるんでしょうが、やっぱりこれたのしい。
妄想を始めた2012年時点では赤司くんについて原作ではっきりと出ている情報が少なく、登場シーンもわずか数コマの状態だったので、好き勝手に妄想していました。特に未来軸であれば原作に気兼ねすることもなく妄想することが出来るので、将来赤司くんは東京の本社で働くんだけどそのうち実家(京都設定。後に原作で自宅が東京っぽい表現はあった)に帰っておうちを継がなきゃいけないから30歳くらいで京都引っ越さないとなーーーーーーそしたら逆算して27くらいでは結婚してるよね。みたいなことを延々考えるの超絶たのしいです。ちなみに脳内には年表もしっかり作られています。
自分でいうのもなんだけどファンブックの「はさみを持ち出した赤司が本来の彼ではない」っていう藤巻の台詞だけを信じてここまでまあ好き勝手に妄想したくせに性格考え方がほとんど原作からぶれなかったのは奇跡というか運命だったなと思う。
わたしの場合お母さまのお名前まで考えていたのにのちに公式で「家族構成父のみ」という爆弾を落とされて爆死したりもしたのでほんとは原作終わってから自己設定をかためたいところだけどそこまで待ってらんないよね・・・萌えは完結後じゃなくて現在進行形で起きてるから・・・。
 

ツイッターがたのしい
馴れ初めの1日後にはもうこんなツイートしてる・・・・・・・・・・・・・・。

という感じでツイッターで「さもキャラクターと付き合っている・結婚しているテイでつぶやく」というお遊びをしています。SS垂れ流しもよくやってるけど、SSを流すんじゃなくて、付き合ってるテイのツイートをいかにして普段のツイートに紛れ込ませるかが楽しい。


結果、アカウントが増えました。これ笑うところです。
 
あと旅行とか出かけたときに全部赤司くんと出かけたテイで呟く遊びも大変たのしい。
bio遊びも大変たのしいですが、個人的に続けているのが現在地遊び。ツイッターのプロフィール欄に現在地という欄があるんですが、これを好き勝手な文字列を入れてたのしむ遊びです。過去にはこんな文字列入れて楽しんでました。

赤なおやりすぎてフォロワーのみなさんにも覚えていただいているせいか、誕生日には「今年も旦那さまとお幸せに」という内容のリプがきたり、赤司くんの誕生日に「旦那さん誕生日おめでとう」リプがきたりするのもしあわせだった。

最初は恥ずかしさもありましたが、もうなんだろうね、次第に普通になっていくし、まわりも慣れてく。おもしろがってくださるフォロワーのみなさんには感謝してます・・・。
 

○友人たちと嫁のテイで会話するのがたのしい
飲み会やらスカイプでしょっちゅう当時の友人たちと嫁のテイで会話する遊びしてて、中でも最高におもしろかったのが「恋から出演ごっこ」。
本人のキャラによって座席の位置決まっていったり、さんまさんからの扱いがひどかったりよかったり、お仕置き部屋の面子がだいたい固定だったり、お仕置き部屋で彼女とさんまさんから叱られる氷室さんとか、ザリガニ取ってくる彼氏の話したせいでザリ子呼びされる青峰嫁とか、喋り方をさんまさんにいじられる緑間さんとか、最高におもしろかったんだけど超絶内輪ネタなので、詳細は出しません。夢女子のみなさんに内輪で楽しむネタとしてご利用いただければ。あわよくば実録公開してほしいわたしが読みたい。
 
 
○いろんなものをもらった
長年赤司くん赤司くん言ってるといろんな友人がいろんなものをくれます。ちょっと自慢させてくれよ。
 
そのいち。定期のシール。ちなみに友人の手作りで非売品。

そのに。巨大駒。友人からの誕生日プレゼント。

これ何度みてもわらうな。ツイッターのアイコンとして長らく使わせていただいている。この発想に至った友人は天才だしきっと頭がおかしい(褒めてる)

 

○ゼクシィを買う
結婚式妄想ってほんっっっっと女の子の夢が詰まってるみたいなところあるよね!!!
ゼクシィ買ってきてどんなところで結婚式あげたいか、引き出物に何を選ぶか、誰を招待するか、っていうのを考えるだけで延々楽しんでた。一時期引き出物検索するタブが5つ以上並んでて真顔になったし、ゼクシィ遊びに来てた親に見つかったけどその後何も言われてないけどあれどう思ったんだろう。彼氏いないはずの二十代妙齢の娘の1人暮らしの家にゼクシィ。親のみぞ知る。
赤司くんの場合、どうしても会場が大きくならざるをえないところがあるのと神前式必須なので(反物屋設定の名残)、友人を呼ぶ身内だけの結婚式と会社関係のひととか呼ぶ披露宴はまた別個で用意しないといけなくて、披露宴側はしきたりだのなんだのうるさくて自由に出来ない部分も多いから、そのぶん身内だけの結婚式はもうすきなように決めさせてもらえて、出来れば教会であげたいな~海沿いの小さなチャペルとかな~もう絵面がきれいだからな~とかもう延々話せるよね女の子の夢だからねだって。
ちなみに一時期話題になった婚姻届は手に入れてません。だってもう結婚してるもーーーーーーーーん()
 
○本を作る
もともと夢小説書きだったので、夢女子遊びをはじめてからツイッター、小説含め、すさまじい量の文字がたまっていました。文字数にして5万字越え。

「もうまとめて本にしちゃえばよくない?」

ひらめいてしまったらそれはもうやるしかなかった。
というわけで絶賛原稿中です。
 
ほんとは印刷してきましたの図になる予定だったんですが年末進行の職場でクソ修羅場連続につき原稿やる時間なんてほとんどありませんでした断念くそう。年明けくらいには実現したいよなあと思いつつ、この話はじめてはや数年経ってるのでいつになるやら。でもページ数としては100ページ超えました。だいたい60,000字は超えてます。文庫にしたいから100ページは超えたかったんですよね。印刷するのたのしみ。(文庫を小部数安く刷れるところあったら教えてください)
タイトルも表紙もほぼほぼ決まってるからあとまじで本文。

 

でも結構マジな話、夢女子やら腐女子やらを兼任してる方結構いるとおもっていて、夢小説って印刷との相性は抜群に悪いんですけど、それでも名前固定でもいいなら印刷やるのも悪くないかもって思ったんです。自分のための自分だけの本が作れるっておもったら結構楽しくないです?夢女子だって印刷したいんだよ~~~~~~~~~コスパ悪いってわかっててもやりたいんだよ~~~~~~~~だからやる。
個人的には黒バスに関しては面子を集める自信があったので(身内で黒バス夢女子やってるひとが多かった)夢女子アンソロジーとかもやりたかったんですが、それは個人的な時間と精神の余裕のなさで実現せずにいます。
夢女子っていうよりも、好きなキャラクターがとある女の子としあわせな恋愛をするアンソロジーを、印刷された本で読みたい。名前なんて固定でよくて、どんな相手とどんな恋愛をすれば、この子はしあわせになれるのかっていうことを突き詰めて、オリジナルキャラクターを作って、その子としあわせになるまでを描いた本。キャラクターありきでそのキャラクターがしあわせになるための女の子像を各々作り上げて、その女の子と恋愛していく様子を書く。いろんな人が描けばいろんな人のキャラクター像も浮き彫りになるだろうし、共通点探すのも違うところ探すのも、ぜんぜん別のキャラで読んで新しい発見があるのもたのしそう。マンガのキャラクターってさすが二次元だけあってほんとうに紆余曲折たどるからこそ、普通の平凡でしあわせな恋愛をするキャラクターが見たかった。公式がやってくれないならまあ自分(たち)で作るしかなかろうっていう。
根本的には赤司くんの夢女子を長い間やっているのにも、そういう気持ちが根底にあります。どうしても赤司くんをしあわせにしたかった。黒子さんに負けて、とても大きな敗北感を持って、そのあと復活してきっと赤司くんはもう一度今度こそ無敗神話を築くんだろうけど(盲目かなこれ)、そういう原作軸の物語とは無縁のところで静かに恋愛が進んでるのっていいなとおもったし、赤司くんには平凡なしあわせを手に入れてほしかった。その相手がわたしでありたかったから、赤司くんをしあわせにできそうな女の子像と自分を掛け合わせて創ったキャラクターが「なお」であって、夢小説である以上、決してわたし本人ではないんですけどね、結局のところ。
 
 
○こんな痛い遊びして大丈夫?
まあほんとうに赤司くんに落ちてからこれまで、傍から見てたらアイタタかもしれないツイートを年がら年中連投してきたし、友人たちに結婚してるテイで喋り散らかしてきたし、夢を見すぎな夢小説もしぬほど書いた。でもわたしはわたしが持てるツールすべてで赤司くんの嫁のテイで振舞うというごっこ遊びがたのしすぎて仕方なかった。
夢小説書いてたひとにとって夢小説って結構な黒歴史化してることがあったりするんだけど、あえて全力でふざけきって「恋人ぶる」「嫁ぶる」からたのしくて、それはある意味大人になって「どんな手を使っても次元は超えられない」現実を知ってしまったいまだからこそできる遊び方だなともおもうんですよ。次元を曲げようと日々ツイートしまくってるのにこんな真面目な説明ナンセンスだから普段は全力でふざける方向に走ってるけども。
 
つい最近赤なお垢で呟いた赤司家の一日。
 
1:26 - 2015年12月20日
赤司くんと小学生の息子が縁側に出してある将棋盤に向かい合って勝負してて赤司くんのお膝の上に幼稚園生の娘が乗って遊んでて、わたしはふわふわ笑いながらみてるっていう妄想がふらりと今日やってきて、ほんとにしあわせすぎて泣きたくなった

 

別に妄想だってしあわせならいいじゃない?妄想でないと味わえないしあわせも確かにあるとおもうから、今日もわたしは元気に夢女子たのしんでます。声を大にして言います。しあわせです。

 

*1:ちなみに当時原作は18巻までしか出ておらず、洛山秀徳戦もまだの時期。当然ながら赤司くんの実家が財閥であることは確定しておらず、たぶんいいところの坊ちゃんだろうな、という程度でした

*2:当時まだほとんど出番がなかったのとその場に原作がなかったので赤司くんの詳細を調べながら作り上げるというよりもその場で妄想して作り上げる赤司くん像に恋してた